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  • 嘉禄の法難念仏行脚

    嘉禄の法難念仏行脚

    1月24日、法然上人御祥当忌日(1月25日)を前に京都で嘉禄の法難念仏行脚が行われました。
    嘉禄の法難とは、法然上人没後15年を経た嘉禄3年(1227)に起こった専修念仏弾圧の動きのことです。
    比叡山の僧たちが専修念仏を広めた法然上人の遺骸を掘り起こして鴨川に流そうとしたところ、上人の弟子たちは遺骸を他の場所に移しながら守りました。
    当時の事を忘れてはならないとして、また上人のご遺徳をしのび、念仏行脚という形で再現しています。

    奈良浄青からは11名が参加し、当日は浄土宗僧侶のみならず、時宗や西山浄土宗などの僧侶・檀信徒も参加し、100名以上が念仏行脚に励みました。
    太秦の西光寺から粟生の光明寺まで、約15キロの道のりでした。
    道中は井戸の来迎寺さま、寺戸の来迎寺さまにてお勤めを行い、休憩させていただきました。
    その際には檀信徒の皆様よりおにぎりやぜんざいなど沢山の差し入れを頂きました。ありがとうございました。

    当時のお弟子さま方の足跡を辿りながら、現在までお念仏の教えが受け継がれている歴史の重みを感じ、今後もお念仏を相続していく決意を新たにした一日となりました。

  • 嘉禄の法難念仏行脚

    嘉禄の法難念仏行脚

    1月24日、法然上人御祥当忌日(1月25日)を前に京都で嘉禄の法難念仏行脚が行われました。
    嘉禄の法難とは、上人没後15年後の嘉禄3年(1227)におこった専修念仏弾圧の一連の動きの事を言います。
    比叡山の僧たちが専修念仏をひろめた上人の遺骸を掘り起こして鴨川に流そうとしたのを、上人の弟子たちが遺骸を他の場所に移しながら守りました。当時の事を忘れてはならないとして、また上人のご遺徳をしのび、念仏行脚という形で再現しています。奈良浄青からは9名が参加しました。

    非常に寒い日になり、例年よりは参加者が減ったようでしたが、浄土宗・時宗、西山浄土宗などの僧侶・檀信徒など100名以上が集まりました。
    粟生の光明寺へ集合し、バスで太秦の西光寺へ移動してからの出発です。

    ▼集合場所 粟生光明寺
    平成30年 嘉禄の法難

    平成30年 嘉禄の法難 (2)

    ▼出発 太秦西光寺
    平成30年 嘉禄の法難 (3)

    出発の5時ごろにはだんだん薄暗くなり、風で網代笠が飛ばされそうになる中で、歩き始めました。

    平成30年 嘉禄の法難 (4)

    ▼井戸来迎寺
    平成30年 嘉禄の法難 (5)

    平成30年 嘉禄の法難 (6)

    ▼寺戸来迎寺
    平成30年 嘉禄の法難 (7)

    平成30年 嘉禄の法難 (8)

    途中、井戸の来迎寺、寺戸の来迎寺でお勤め、休憩をとらせていただきました。温かいお茶やおにぎりなど大変ありがたく頂戴しました。
    参加の檀信徒の中にはお袈裟を掛けて、数珠を持ち、僧侶に合わせてお念仏を称えておられる方や、沿道には私たちが通り過ぎるまで合掌して下さる方もおられました。上人の弟子たちが暗闇に紛れながら、遺骸を運んだ当時の様子に思いを寄せる事ができたのではないかと思います。

  • 嘉禄の法難念仏行脚

    嘉禄の法難念仏行脚

    1月24日、毎年恒例の嘉禄の法難念仏行脚が京都にて行われました。

    嘉禄の法難とは、法然上人ご往生の後に念仏教団に対する弾圧が強まり、上人のご遺体が辱めを受けるのではないかという危惧が生まれます。その中、お弟子方が闇夜に紛れて上人のご遺体を粟生の光明寺までお運びをし、荼毘に付した出来事をいいます。

    西山浄土宗三派・時宗・浄土宗の青年僧に在家檀信徒も加わり百数十名がお念仏の元祖である法然上人追慕の念仏行脚を行いました。奈良浄青からは8名の会員が参加しました。

    20160124 (2)
    太秦の西光寺が出発地となります。
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    嵐山・桂川の畔にて。渡月橋を渡ります。
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    途中の井出来迎寺と寺戸来迎寺にて勤行。ふるまいを受けました。
    20160124 (4)

    数十年に一度の大寒波の中、16kmに渡る行程でありましたが、澄みわたる夜空には美しい満月が夜道を照らし、無事に勤めさせていただきました。法然上人の御忌日に先がけて報恩謝徳の思いを新たにいたしました。