青年僧のお話

「一蓮托生」

 自坊では、一月中旬に梅が咲きだしました。この冬は暖冬と言われた通り、年末年始から暖かく、過ごしやすかった一月でありました。
 お花というのは本当に賢く、その時期が来るのが分かっているようであります。
ただ人間の私たちは、たまに気温が低くなり寒暖の差が厳しくなると、身体の対応が難しい日常ではないでしょうか。

 これだけ寒暖の差が激しくなると、やはり檀家さまの体調が心配になってきます。自坊の周りは、まだまだご高齢の方々が多くいる地域です。
 毎日、本堂前で手を合わせておられる方、お地蔵さまのお世話をしていただいてる方など、様々にお寺のことを思っていただいている方々が多く、「いつも有難いなぁ」と感謝をしてます。
 そんななか、あるお婆さんと毎日会える事が日常になり、私もいつの間にかそれが楽しみになっていました。毎日同じ時間に来て、お花、線香をお供えしてくれます。休む日もなく毎日毎日。
 ある日、そろそろ来る頃かなぁと思い、私も掃除をしながらお婆さんを待っていたのですが、その日は来られませんでした。
 その次の日も次の日も見かけることがなく、私の知っている限りこれまでお婆さんがこんなに日を空けることはなかったので、だんだんと不安が頭に過ぎってきました。
 その日に、一本の電話が鳴り、頭に過ぎった不安は現実となったのです。
 お婆さんの息子さんからで、「母が亡くなった…」と。詳しく聞くと、最近、寒暖の差激しく、急に冷え込んだときに風邪を引いて、こじらせてそれから…」とのことでした。

 通夜、葬儀と多くの方に最後を見送られました。中陰のさいに、息子さんとお婆さんの事をゆっくり話すことができました。
 息子さんは「お婆さんは、最後の最後までお寺に行って幸せやったと思います。毎日の日課になっていて、家の用事よりもお寺に行っていました。なにより、副住職がいらっしゃってから毎日会うのが楽しいと言っていました。相手していただきありがとうございました。」と仰ってくれました。
 私は「いえいえ逆ですよ。私の方がありがとうと言いたいです。私も毎日会えるのが楽しかったです。」とお婆さんの事を思い出しながら答えると涙がでてきました。

お婆さんとの別れの中で、私の胸の中には法然上人のこのようなお言葉が浮かんできました。

「 会者定離(えじゃじょうり)は常の習い、今始めたるにあらず。何ぞ深く嘆かんや。宿縁空(むな)しからずば同一蓮(どういちれん)に坐せん。」

「会う者が別れるということは世の定めであって、今に始まったことではありません。どうして深く嘆くことがあるでしょうか。過去の因縁が確かなものであるならば、極楽に往生して同じ蓮の台(うてな)に座ることができるでしょう。」

 その後 お寺には、ほぼ毎日のように息子さんが線香などお供えに来てくれます。本当に有難いことです。
 亡くなったお婆さんとの極楽での再会を楽しみに、「南無阿弥陀」と日々のお念仏行に更に励もうと心に決めた平成最期の一月でした。

合 掌

(第九組 御所市 浄土寺 堀口 晃裕)