6月6日(月)新たに会長に就任された松谷会長の御寺院であります奈良市東笹鉾町にある浄國院を会処として理事会併修のもと第一回求道誓願念仏会が行われました。19名の浄青会員の方が参加くださいました。
会員共々、念仏会中はすこし堂内を暗くして御本尊の阿弥陀様に思いをこらしてお念仏をたくさんお唱えいたしました。みなさんの声が響き渡り素晴らしい念仏会を開催することができました。

12月1日〜3日、斑鳩 吉田寺様において三千礼拝行仏名会が行われました。
秋以降、コロナ感染者数が減少傾向にありますが、執行部での協議の末、今年度の三千礼拝行も浄青会員は時間を限定して参加させていただく事となりました。昨年と同じく、三日間午後からの300礼を二席(初日、二日目は計600礼、三日目は計500礼) 三日間で都合1700礼の念仏礼拝行に励みました。
奈良浄青の恒例行事となっている三千礼拝行、その始まりは昭和58年とのこと。
それから39年間、途切れる事なく吉田寺様において勤められてきました。
筆者の私事ですが、昭和62年に当時浄青会員であった父親が37歳の若さで遷化しています。
その父がまだ駆け出しの青年僧侶だった頃、この三千礼拝行に参加していたようで、浄青ならではの懐かしいお話をご住職の山中上人から聞かせていただきました。
多くの歴代会員の方が汗を流し励んで来られた三千礼拝行仏名会。
昨年来のコロナにより、浄青としては数を制限しての参加形態とはなりましたが、今年も無事に三日間勤めさせていただきました。
お世話になりました吉田寺様には、この場をお借りして御礼申し上げます。合掌
当日の動画はこちらからご覧いただけます。
https://youtu.be/-s4ADuStSNU

10月14日(木)今期の実践活動である、防災・減災学習会の第一回研修会として、宮城教区 第三組 照德寺 副住職の中澤宏顕上人を講師にお招きし、「東日本大震災からの復興」と題してお話をいただきました。現地参加とオンライン配信での参加を合わせて11名の会員の参加がありました。
お話は被災された当時のご自身のご体験や、現在に至るまでの復興の状況、また防災の重要性についてと、三部構成になっていました。
始めに①講義目では、震災・大津波が起きた直後の被害状況、特に周辺の町、お寺、檀信徒の被害状況がどの様であったか、また避難時にとった行動、そして避難場所となった小学校体育館での生活など、当時の被害の状況を詳しくお話くださいました。
②講義目は、震災当時の実際の映像をまとめたものを鑑賞しました。
お話を聞いた直後の実際の映像は、より現実的に、かつ身近に当時の震災の恐ろしさが伝わってきて、言葉を失うばかりでした。
③講義目では、今現在に至る被災地の復興の状況をお話いただきました。
被災を受け、御本尊・過去帳の捜索から、長い歳月を掛けた瓦礫撤去、お寺の修復・別院の建立等の課程をお話していただきました。また被災後、自身の生活さえもままならない状況の中、檀信徒の為にお寺の復興も両立して進めていかないといけない、その重圧と苦難、労力は計り知れないものであったと、これまでの苦悩を語ってくださいました。
特に、行政の宗教法人への援助介入がほとんどないことや、近隣寺院同士の協力援助話は、考えさせられるものでした。
現在は被災したご自身の経験をもとに、講演会等でご登壇されながら、また地域のお寺と連携して避難用の食料・避難用品を備蓄する活動の筆頭に立ち、災害時お寺が人々の寄り所となれるようにと日々邁進しておられます。
お話の結びに、現在被災地の人々は、ようやく復興へのスタートラインに立てたような気がすると仰っていました。
今回の防災・減災学習会は、我々のもとにも今後いつ起こるかわからない大災害に備え、その心得と担うべき地域社会への役割について改めて考える、貴重な学習会となりました。

令和2年9月28日(月)第三組 結崎 極楽寺様において、研修会を行いました。
コロナ禍の影響により今期初めての研修会となりましたが、白馬会長の下、11名の参加がありました。
今期の実践活動である防災・減災学習会の第一回として、ロープワーク研修会を行いました。講師として、ボーイスカウト奈良県連盟香芝第一団副団委員長である大山様にお越しいただき、防災や人命救助時における様々な場面に適したロープの結び方・使い方を学びました。知識としても実践としても、とても大切で価値あるものだと実感しましたが、一度や二度教えてもらってできる程、簡単なことではないとも痛感しました。
防災・減災は常平生からの備えが大切であると言われています。今期の実践活動を通して、一つ一つ学んで行きたいと思います。

藤田会長の発案で、2年にわたり行ってまいりました実践活動「大和巡礼 念仏行脚」。
3月に最終回を迎え、全行程を終えることができました。
(1)今まで訪れたことがない奈良の会員寺院を回りたい。
(2)諸先輩方が念仏行脚をなさっていたが、それから時が経っている。
この2点を念仏行脚を行う目的として掲げ、2年間で11回行いました。
それにあわせて行脚実行委員会も立ち上げ、日取りやルートの選定、危険な箇所はないか、飲み物の手配などに尽力いただきました。
奈良浄青の会員も毎回多数の参加があり、30名にのぼる日もありました。
<大和巡礼念仏行脚 全行程>
・第一回 大和郡山市~斑鳩町 参加28名 13㎞
・第二回 天理市 参加26名 19㎞
・第三回 生駒市 参加18名 3㎞
・第四回 明日香村~御所市 参加21名 18㎞
・第五回 王寺町~香芝市 参加19名 4㎞
・第六回 葛城市~御所市 ➀参加26名 14㎞
➁参加17名 14.5㎞
・第七回 橿原市~桜井市 参加23名 20㎞
・第八回 奈良市 参加29名 10㎞
・第九回 五條市~吉野郡 ➀参加17名 17㎞
➁参加12名 12㎞
・第十回 吉野町 参加11名 4㎞
・第十一回 大和郡山市~天理市 参加25名 18.5㎞
総距離 約167㎞
参加人数 のべ274名
巡礼寺院数 88ヶ寺
言葉で仏の教えを伝えていくことも大切ですが、僧侶自身がお念仏を称え、実践していかなければと思います。
そのような意味で、実践活動「大和巡礼念仏行脚」は仏教を体現することができる活動であったと感じています。
長いようで、あっという間に終わった11回でしたが、この経験を今後に生かしていきたいと思っています。

3月13日、奈良県の浄青会員寺院を中心に廻る念仏行脚を行いました。
いよいよ最後の念仏行脚となりました。気持ちの良い快晴に恵まれ、大和郡山市の来迎寺から天理市の明專寺までの9ヶ寺に立寄り、約18,5㎞を行脚しました。いつもより早い時間の開始でしたが、他教区から1名の参加も含めて24名の参加がありました。
▼出発 大和郡山市額田部北町 来迎寺
本堂前でお勤めののち出発です。まず1ヶ寺目は川西町結崎の極楽寺に立寄りました。

▼立寄り2ヶ寺目 三宅町屏風 浄土寺
藤田宏至会長の寺院です。1時間ほど昼食休憩ということで、尼講の方々が作ってくださったカレーをいただきました。一緒に集合写真も撮り、見送りまでしていただきました。

▼立寄り4ヶ寺目 田原本町大安寺 教安寺
ご住職の里見上人は浄青第16期会長です。

▼立寄り5ヶ寺目 田原本町千代 十念寺
本堂は建て替え中で、秋のお彼岸に間に合うよう工事が進められているそうです。

▼立寄り6ヶ寺目 大泉寺
本堂にあがって小休憩させていただきました。
大師衣に念仏行脚で廻った寺院名を書いておられる会員の姿もありました。

到着 天理市遠田 明專寺
ご住職の鎌房上人は浄青第23期会長です。

予定通り明專寺に到着しました。最終回もケガ人なく終えることができました。
44,938円のご喜捨を頂きました。災害などの義援金に当てさせていただきます。
この2年間、実践活動として計十一回の大和巡礼念仏行脚を行なってきました。
はじめはそれぞれに不安を抱えながらでしたが、回を重ねるごとによりよいものになっていくのを感じました。
皆様、本当にお疲れ様でした。

前日の行脚の足の疲れが残りながらの2日目の行脚です。宿泊地である吉野山の冷え込みに時節を感じ、昨日とはうってかわって秋晴れの爽やかな風に季節を感じながら、如意輪寺から観音寺までの約12kmの行程です。
▼出発 吉野町吉野山 如意輪寺
全国的に桜で有名な吉野山、後醍醐天皇と楠木正行ゆかりの如意輪寺から出発です。途中、金峯山寺蔵王堂を参拝して桜の葉が色付き出した様子を感じながら下山していきます。

▼立寄り1ヶ寺目 吉野町丹治 金龍寺
吉野山の麓の金龍寺で休憩をとらせていただきました。吉野杉の産地なので材木店が多く、杉の香りを感じながら集落を越えていきます。山里なので道端には、栗や柿が実を付け、実りの秋を実感しながら、地蔵院を目指します。

▼動画 金龍寺→地蔵院
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▼立寄り2ヶ寺目 下市町阿知賀 地蔵院
地蔵院に到着目前では、少し息切れするような急な坂道がありました。

橋の上からでも魚の泳ぐ姿が、確認出来る程透き通った吉野川を渡り、到着地の観音寺に足を進めます。
今回は、特に南部とういうことで、自然を体で感じながらの行脚でした。そして、2日間の行脚で足が重い時に、南無阿弥陀仏のお念仏の声が背中を押して一歩一歩足取りを進める事が出来たのだと体感しています。そしてまた、お念仏の持っている力を、実感出来た吉野宿泊行脚でもありました。
九回目の行脚も終わり、残すところわずかとなりました。青年僧自身がしっかりお念仏をお称えし、その姿を見た方々の教化に繋がれば・・・という初心を忘れずに最後まで念仏行脚したいと思います。
行脚中、浄財を頂きました。ご喜捨いただいた71,300円は災害などの被災者支援に当てさせていただきます。
次回は11月16日、吉野町東側を念仏行脚の予定です。
吉野町新子の達中寺と吉野町南大野の浄土寺間を念仏行脚で往復し、達中寺で念仏会をさせていただきます。

9月28日-29日と奈良県の浄青会員寺院を中心に廻る念仏行脚を行いました。
藤田会長の任期2年のなかで、また昨年より行っている念仏行脚のなかでも、メイン行事となります今回は吉野町方面を一泊二日で行脚しました。
初日は5ヶ寺、約17㎞を17名で、2日目は3ヶ寺、約12㎞を14名で行脚しました。
集合場所の大淀町観音寺に到着した時は雨が降っていましたが、出発の時間が近づくと、怪しい空模様であることは変わりませんが雨はやみました。
気候も良く、景観の良い吉野を行脚するので、参加の青年僧一同、より一層お念仏をお称えしながら行脚しようという思いで出発です。
▼立寄り1ヶ寺目 下市町下市 西迎院
ご住職の中村晃和上人は浄青第9期会長です。また、副住職の中村祐華上人は、元「愛$菩薩」こと「光誉祐華」というお名前で歌を通して仏教の教えを弘める活動をされています。

▼立寄り2ヶ寺目 大淀町佐名伝 佛眼寺
ご住職の勝部正雄上人は浄青第6期会長を務められました。

▼立寄り3ヶ寺目 五條市東阿田町 西方寺
ちょうど雅楽のお稽古中とのことでしたが、手を止めてお出迎えいただきました。

▼到着 五條市須恵 櫻井寺
ご住職を務められる康成達文上人は浄青第5期会長です。

櫻井寺に到着した時にはいつの間にやらあたりは薄暗くなっていました。前回の念仏行脚から3ヶ月ほどあいており、少しブランクを感じる局面もありましたが到着することができました。
2日目も険しい道のりとなりますが、しっかりお念仏が称えられるように体の疲れをとりたいと思います。
この日は吉野町吉野山の太鼓判花夢花夢にて宿泊です。

6月21日、奈良県の浄青会員寺院を中心に廻る念仏行脚を行いました。29名の会員が参加しました。
当日は奈良市内14ヶ寺を参拝させていただきました。出発地点として南永井町にある安楽寺から奈良坂町にある西福寺を終点として約11㎞を行脚させていただきました。
出発の安楽寺に到着した時は小雨がぱらつく、あいにくの天気でしたが、お勤めをさせていただいてから出発しました。安楽寺は森山上人が副住職を勤められており、地域の墓所としてお参りの絶えない寺院です。
安楽時を出発して次の祐楽寺にお参りさせていただきました。途中、私の母校、都南中学を望みつつ住宅地を進み祐楽寺に到着しました。祐楽寺は伊藤上人が副住職を勤めておられます。神社と寺院が並立して立地するという昔ながらの形を残す、形態の綺麗な寺院です。
祐楽寺を出発して次の称念寺に向かいます。祐楽寺を出て程なくして私の母校であります明治小学校の校門前を通り、中ッ道との分岐に近づき旧奈良市街である平城京の外京部分に入っていきます。さらに進むとJR京終駅に近づいてきました。京終は昭和52年から昭和54年にかけて「奈良県中央卸売市場」が設置されるまで色々な卸売市場で賑わっていました。今でもその名残を留めており、時代の流れを感じながら歩みを進めさせていただきました。
循環道路を超えますと称念寺が見えてきます。称念寺は杉浦上人の寺院です。本堂は江戸時代初期の浄土宗寺院の美しい建物で、市の文化財にもなっています。お師匠様の杉浦弘道上人のようなドッシリと重みのある伽藍が、素晴らしい環境を作っています。また、ご厚意により休息を取らせていただきました。
休憩の後、誕生時に参拝させていただきました。京都教区城南組の叢(くさむら)上人が兼務されています。浄土宗に深い関係のある当麻曼荼羅を作ったいわれる中将姫誕生の地とされており、ご本尊も中将姫がおまつりされています。
誕生時を後にし、程なくして聖光寺に着きます。山門にはラブラドールレトリバーのチェリーちゃんが出迎えてくれました。聖光寺は乾上人が住職をされており、その寺号の通り、二祖聖光上人と縁のある寺院として「法然上人大和二十五霊場」のひとつに定められています。
聖光寺を出て奈良町を進んで行くと「そこぬけさん」の愛称で知られる興善寺に到着しました。興善寺ご住職の森田上人は浄青第20期会長を務められました。隣の十輪院は元興寺の奥の院とされ、その隠居寺として興善寺があったそうです。そのため院号と山号を2ヶ寺で分けたので互いに院号のみ、山号のみになったそうです。また興善寺には『興善寺文書』があり、昭和37年にご本尊の胎内から源空、証空の消息が発見され、その快挙に総本山知恩院の岸猊下は御詠歌を読まれました。
次は阿弥陀寺を目指します。境内の建物は県の有形文化財に指定さている物が多く、境内は時が止まっているように感じます。また、室町時代の笠塔婆が石好きの方に人気です。副住職を勤めておられる森上人は英語教師の傍らバンドのボーカルもされ、多彩な才能をお持ちです。
阿弥陀寺を後にし、奈良市で最初に開校された椿井小学校の横を通り三条通りを進みます。観光客に見られながら霊巖院に到着です。霊巖院は藤野上人の寺院です。やすらぎの道から西に入り開化天皇陵の横にある寺院で、近鉄奈良駅側であるにもかかわらず、静かな境内に重厚な本堂と立派な石龕佛がたたずんでいます。
霊巖院を出て、饅頭の祖といわれる林浄因(りんじょういん)が奉られている林神社のある漢国神社の前を通り、山の寺念佛寺に向かいます。念佛寺は三宅上人の寺院で、9月9日のキューキューの托鉢の際に会処としてお借りしています。念佛寺は袋中上人が開山で、徳川家とも縁が深く、本堂の金柱の数が当時の荘厳さを感じさせていただけます。
次に崇徳寺を目指します。崇徳寺は和田上人の寺院で、先代ご住職は安井良道上人です。崇徳寺の開山である縁誉上人と徳川家康公が竹馬の友であったことから奈良を訪れるVIPの宿にされることもあり、非常に格式高い寺院です。また接待のおりに酒を出すことが出来ないため、酒粕で漬けた漬け物を出した事から「奈良漬け」発祥の地とも伝えられています。
続いて浄國院へ向かいます。途中、奈良女子大学前を通ります。奈良女子大学は奈良奉行所の跡地に建っており、全国でいちばん大きい奉行所で当時は周辺が奈良の官庁街になっていました。さらに、このあたりは仏像や筆・墨などの工人の町でもあり、奈良北町の中心地となっていました。
当時の景色を感じながら浄國院に到着です。松谷上人がご住職をされており、南北朝時代から続く古刹で無衰山の山号通りの威容を誇っています。先代ご住職は浄青第13期会長です。ご住職のご厚意で休憩も取らせていただきました。
行脚も終盤に入り、次に東大寺指図堂に向かいます。指図堂は「法然上人二十五霊場」の第十一番霊場で、ご本尊に草鞋履きの法然上人の御影が安置されています。その前でお勤めをさせていただきながら重源上人をはじめ多くの方との念仏信仰の隆盛を感じさせられました。
次に浄福寺へと向かいますが、指図堂を出て北へ向かいますと正倉院が見えてきます。正倉院に続く道として鼓坂(つづみざか)があり、その名前を頂いた鼓坂小学校があります。その前を通ると転害門があります。東大寺最古の建物で創建当時(天平時代)の唯一の建造物です。
東大寺を北に進み、寶船の醬油屋を越え今在家を過ぎると今回の行脚の難所である「東の坂」を迎えます。奈良と京都の間の峠の始まりで、坂を登っていくと立派な石段の上に見えてくるのが浄福寺です。ご住職の寺田上人は浄青第22期会長を務められました。浄福寺は「げんこ坊」の愛称で親しまれています。元々は東大寺系の興善院という大寺院があり、その中の「げんこ坊さん」が居られた坊が浄福寺の前身になったといわれ、本堂には「げんこ坊」の御像が安置されています。また、浄福寺は尾根の先に位置されていて、奈良門中の中では最高の眺望で、眼下には北山十八間戸をはじめ奈良盆地を見渡すことが出来ます。
浄福寺を後にし、いよいよ終着地の西福寺を目指します。般若寺、植村牧場の前を通り、『平家物語』の平家の軍勢が押し寄せた道を逆に北上して西福寺に到着しました。西福寺は私、吉水が住職を務めさせていただいています。自慢は淀川水系と大和川水系の分水嶺に寺院があるのでどちらにも水が流せることです。
今回の行脚も無事に終わり、私はやはり行脚は良いなと思いました。常々、総本山知恩院で行っている行脚も含めて、寺院に居ります時は西福寺の住職としての自分がおり、夫・父としての自分がおり、その中で僧侶としての自分が薄れていく事を感じます。街を行脚している時の自分は、ただただお念仏を称える僧侶になれている気がします。
尊敬するお方として布袋さんがおられます。身の回りの物を袋に入れて遊行をされるお姿が、肩書や柵の中で四苦八苦している自分を笑っていらっしゃると感じるのです。時には肩書や柵を置いて、阿弥陀如来様や法然上人、これまでの諸大徳に報恩の念を持ちつつ、自行としてのお念仏をさせていただける機会として行脚は大変良いものであると思います。ぜひこれを機に多くの方が行脚を続けていただけたらと思います。
今回の行脚中、40,100円のご喜捨を頂きました。被災者支援に当てさせていただきます。
次回、第九回の大和巡礼念仏行脚は9月に吉野方面を予定しています。