青年僧のお話~2015~


▼  新潟教区 長岡組 秀翁寺 山田泰輔  ▼

『 はじめての「三千礼拝仏名会」 』

 西暦2015年も残りわずかですね。私は新潟県三条市の秀翁寺というお寺の副住職をしております山田泰輔と申します。20代最後の年を華々しく彩りたいと思う今日この頃ですが、天候が良くないと気分までなんだか暗くなってしまいますね。残念ながら私の住む三条市では、12月に入りますと天気が晴れということは稀でございます。だいたい雨で、良くて曇り。気温は日に日に下がります。おまけにいつ雪が降るのかと戦々恐々としている時期です。

 こんな閉塞的で暗い雰囲気から解脱するには、歴史のあるお寺で礼拝をするしかない!というわけでもありませんが、ついに先日、斑鳩の吉田寺さんにて「三千礼拝仏名会」に参加させていただきました。

 12月2日朝6時過ぎ。夜明け前だというのに飽きもせず冷たい雨が降り続く中、燕三条駅から新幹線に乗り込みました。吉田寺さんに到着したのは、それから大体6時間後、つまり昼の12時過ぎのことでした。天気は快晴。雲ひとつ無し。12月だというのにお日様の存在がぽかぽか肌で感じられます。

 山門をくぐり、おそるおそる竹やぶの石畳を抜けると、厳かな本堂が見えました。ここで礼拝するのかと気持ちが高ぶり、一気に緊張します。離れの控え室へ若奥様から案内していただき、靴を脱いで中に入ると、お坊さんがいます。礼拝行の合間の休憩時間にくつろぐ、参加者のみなさまでした。私がよろしくお願いしますというと、にこにこと笑っています。2日目で疲れているにもかかわらず、非常に和やかな雰囲気です。なんだか安心して緊張が肩から抜けました。初めて来たのに、ひさしぶりに会う友達のようなとてもリラックスした雰囲気でした。この雰囲気が、32年続く三千礼拝仏名会の魅力のひとつなのかもしれませんね。

 お昼をいただいた後、「三千礼拝」のため、一同着替えて本堂へ向かいます。境内に出て、本堂の中へ。入るとこれがおどろきでした。まさに阿弥陀様の国、極楽浄土!大きな阿弥陀様が金色の光を体から放って、奥行きのある本堂全体を照らしています。吉田寺名物、丈六の阿弥陀様でございます。

 一同阿弥陀様に向かって居並び、おもむろに礼拝が始まりました。ナームアミダブ、ナームアミダブ。必死にお念仏を称えながら、とにかく夢中で立ち上がったりうずくまったり。やさしく照らしてくださる阿弥陀様に見守られながら、一気に礼拝をこなします。結局、足が痛い、もうできないといいつつも、私は計800礼、坐礼で300礼をいたしました。終わってみればあっという間。煩悩だらけの私でございますが、様々なありがたい「おかげさま」に支えられて、ありがたく行を修することができた気がします。最後にはそんなありがたいご縁をぽかぽか肌で感じつつ、帰路につきました。どんな方であっても、たとえ100礼のみであっても、参加すれば必ず意味のあるものだと思います。最近は参加者が増えているというのも、うなずける話です。私もまた、参加させていただきたいと思います。

 最後になりましたが、このご縁を賜り下さいました山中浩悦上人、外までお見送りしてくださった山中眞悦ご住職、吉田寺の方々、参加されたお上人方々、どうもありがとうございました。

合掌

(新潟教区 長岡組 秀翁寺 山田泰輔)


▼  第三組 天理市 善福寺 桂浄薫  ▼

『晋山式を終えて -お寺を預かるとは‐ 』

 11月1日、快晴の下で私のお寺、善福寺の晋山式(住職の代替わり式)を挙行しました。来賓さま、奈良県内外のご寺院さま、多くの檀信徒さまに見守られるなか、無事に成満して善福寺第三十三世の住職に就くことができました。これもひとえにご縁の皆さまのお陰であり、感謝申し上げるとともに、皆さまのご期待に応えられるよう精進していく所存です。

 晋山式は午前中だけの行事なので当日は意外と早く終わるのですが、その割には準備はなかなか大変。本堂・庫裏の設営や記念品・お弁当の用意、案内状の送付や出欠の確認、受付係などお手伝いいただく方々への説明など多方面にわたる準備に奔走しました。お世話になった沢山の人たちに思いを馳せながら準備するのは楽しい時間でしたが、この変化の激しい時代に住職になることにはどんな意味があるのか、宗教離れが叫ばれるなかで晋山式をどのようなカタチで勤めるのがふさわしいのか、悩みながらの準備でもありました。

 晋山式は新しい住職のお披露目の式ですから、第一義はそのお寺の檀信徒や地域の方に見ていただき、ご挨拶申し上げること。そして同時に、近所や関係のお寺さまにご挨拶して、今後ともよろしくお願いしますとお願いする場でもあります。しかしながらお寺の論理として、晋山式に限らずさまざまな法要において、いつのまにか後者が優先される場面が少なくありません。決してそんなつもりはなくても檀信徒への意識が二の次となり、他のお寺さまへの体裁を重視するあまり、肝心の檀信徒の思いと微妙にズレた形式ばった法要・儀式になってはいないでしょうか。

 今回私の晋山式で特に斬新なことをしたわけではありませんし、やみくもに新しいことをすべきだというわけでもありません。伝統と儀式の意義も大切です。ただもう少し柔軟に、変えていいところも沢山あるように感じました。

 お寺の住職を務めることを「お寺を預かる」と表現することがあります。誰が誰から「預かる」かと言えば、大原則として「住職が檀信徒から負託を受けてお寺を預かり護持すること」といえるでしょう。決して国や銀行から預かるのではなく、ましてや浄土宗や他のお寺さまから預かるのではなく、お寺をずっと見守ってくださっている檀信徒さまからお預かりする、そのことを忘れてはなりません。預かったからにはより良いものにして、その素晴らしさを皆さまに還元していくのが、託された者としての矜持でしょう。

 今まではお寺どおしが仲良くしてさえいれば、お寺にとっても檀信徒にとっても上手くいく時代でした。しかしこれからは、いや今もう既に宗教・仏教・僧侶離れが進み(なかでも僧侶離れが深刻)、お寺さま相手に腐心している内にどんどん檀信徒の心はお寺から離れてしまいます。他のお寺さまとケンカする必要はもちろんありませんが、お寺さまに対しておもねる必要も、見栄をはる必要もなく、ただ檀信徒と向き合っていくべきではないでしょうか。

 こんな若輩の私ですが、檀信徒さまの顔には笑顔があふれ、新しい住職に温かいお気持ちを寄せてくださっているのを強く感じました。その思いをムダにすることなく、どこまでも愚直に檀信徒さまに向き合い、お念仏信仰をともに進めていこうと決意しています。「信仰は進行なり」。私もまだ歩み始めたばかりの凡夫です。 南無阿弥陀仏

合掌

(第三組 天理市 善福寺 桂浄薫)


▼  第一組 奈良市 浄國院 松谷悦成  ▼

 先日、お参り先で現役の高校教師の方とお話しをしていると、「今、反抗期がない子が多くなっている。」とお聞きしました。一見、親は楽で良いなと思いがちですが、反抗期がないという事は身体だけが成長し、心が成長していない事だそうです。

 私は三人の子供を授かっています。中学一年の長女、小学五年の長男、小学一年の次男です。まだまだ子育てに追われる日々です。長女の担任の先生が入学式の日に、生徒と保護者に対してこんな事を言われました。「私(担任)は今一本の針を持っています。この針で自分の指を刺してしまうと勿論痛いです。そして、それを見た人たちも痛みを感じるのです。私はその心を育てていく教育を目指しています。」という内容でありました。

 近年、人の痛みを共感できない子供が多いのではないかと考えています。米国では『自然欠乏症候群』という事が指摘されています。自然との関わりが欠乏する事によって起こる心の病です。本来、人間には自然の中にある音や季節感、雲や風、星の動き、朝昼夜の生活リズムを感覚的にとらえ生活を送ってきました。それが、現在はビルに囲まれ、土や木に触れる機会が減り、自宅の中でゲームに没頭する事が非常に多い生活ではないでしょうか。すると症状として、集中力の欠如、落ち着きがない、我慢ができない、人の痛みが分からないなどと言われています。

 現在、日本列島は殺人列島とも言われる様に毎日のように殺人事件が報道されています。人が殺されない日は無いのではないかと思ってしまう程です。自己中心的な動機であったり、親が都合で我が子を殺めたり、人を殺す事自体に興味をもっていたりと理由はさまざまです。こういった背景には、人の痛みを理解する心が養われていない事が大きな理由の一つではないかと思います。

 勉強で優秀な成績をおさめる事も大事な事ですが、それ以上に人の心の痛みが分かる、優しさをもつ、感謝を忘れない、謙虚さ、そういった人格の成長こそが本当に大事とされることではないでしょうか。また、そういった心を養う事が出来ていたのは、仏教の存在でありました。仏教の上に生活が送られていました。人は損得ではなく善悪で物事を判断し行動していました。自分の事よりまずは他人の事を優先的に考える。あなたの悲しみは私の悲しみ、あなたの喜びは私の喜びと共生の心を持つ事ができていました。しかし仏教がだんだんと衰退していく中で、共生の心も衰退していきました。米国では「宗教なき教育は智慧ある悪魔をつくりだす」と言われています。今、日本はこの言葉に向かって進んでいるのではないでしょうか。

 心は業(行い)の集積です。善い行いを多くすれば善い心に、悪い行いを多くすれば悪い心が集積されてしまいます。知識の教育だけではなく、心を育てる教育に改めていかなければならないのではないでしょうか。

合掌

(第一組 奈良市 浄國院 松谷悦成)


▼  第六組 高取町 如来寺 的場裕信  ▼

『身代わり地蔵』

 高取町谷田(やた)という村に、常楽寺というお寺があります。細い山道を登ったところにある小さなお寺で、私の師僧が兼務住職をしております。
 このお寺にご本尊さまとして祀られている地蔵菩薩さまはちょっと有名なのだそうです。この村で語り継がれてきたという、地蔵菩薩さまのお話をご紹介したいと思います。
  ※
 昔、矢田村(現在の大字谷田)の池の谷というところに、細長い小さな田が十枚ほどあった。水にとても不便な田であった。この田は常楽寺所有の田で、この田でできたお米は年貢米としてお寺に納められた。
 この田の小作人は二人いて、上下半分ずつに分けて作っていた。上半分はお米を作るのに十分な水があっても、下半分はいつも水が不足していた。ところが、下の小作人は正直な良い人で、お地蔵さまを信心して熱心にお米を作っていた。できたお米は少なくても、上の小作人よりも多くのお米をお寺に持っていった。

 ある年、たいへんな日照りが続いて、所々に水争いが起こった。この田でも下半分は水がなく、とても実りそうに思われなかった。ところが不思議にも、朝になると上の田には水がないのに、下の田にはだれも入れないのに水が一面に満ちていた。
 上の小作人は、きっと下の小作人が夜中に水を取りに来ているに違いないと思い、ある晩、弓矢を持って山に隠れて待ちかまえていた。すると人影が上の田に来るように見えたので狙いを定めて矢を放った。確かな手ごたえがあったので、そのまま家に帰っていった。朝になって田へ行くと、下の小作人は元気に仕事をしており、しかも、上の田には水はなく、下の田にはいつものように水がいっぱいあるので不思議に思い、昨夜の事を話してわびた。下の小作人は驚いて、さっそく上の小作人を連れて寺へお参りしてみると、お地蔵さまが横に倒れていた。起こしてみると、不思議にもその肩に矢が二つに折れて突き刺さっていた。仰天した二人は深くお地蔵さまにおわびして、そのまま矢も取らずに安置した。
 
 いつの頃からか、このことが世間に広がり「身代わり地蔵」と呼ぶようになったそうだ。その後、あまりにも有名になったので、このお地蔵さまを誰かが盗み、担ぎ出して村の境まで来たとき、急に重くなったので盗人はそのまま立ち去ったという。その時この矢が取れて、矢傷だけがいまなお残っている。
  ※
 この話がまだ有名だったころ、行事があるとお寺の周辺に出店などが並んで、村はとてもにぎわっていたそうです。それが時代の変化とともに薄らいでいき、常楽寺にお参りに来る人も減っていったと谷田大字の区長さまはおっしゃっていました。
 人口が減り、子供の数も減る一方のこの世の中で、このような伝説を語り継いでいくことは青年僧の役割の一つだと思い、ご紹介させていただきました。

合掌

(第六組 高取町 如来寺 的場裕信)


▼  第二組 生駒市 生玉寺 佛姓泰淳  ▼

『お陰様で・・・・・』

「おばあちゃん、毎日暑い日が続きますが、お元気で結構でございますね。」
いつも灯明を点け笑顔でお待ちいただき、大きな声でお念仏をお称えされるお檀家のおばあちゃんのお家に今年も棚経に伺いました。
「足腰が大分と弱くなりましたが、お蔭さんでなんとか暮らしています。」と、普段の様子や家族の皆さんのことを話してくださいました。

この間「気になる日本語」というテーマだったが、ラジオでこんなことを言っていた。
「直接お世話になっていない人から、『ご家族の方はお元気ですか?』と尋ねられて、『お蔭様で元気です』と答えた。」
この「お陰様で」という答え方について、「自分はそういう答え方を、するか、しないか」「お陰様という答え方は、おかしいか、おかしくないか」と、調査したとのことである。
「自分でもそういう答え方をするし、答え方がおかしいとは思わない。」と、肯定的な人の割合が60%であった。60歳以上では66%の人が肯定的であったが、20歳代では46%と半数を割っていたそうで、半数以上が、直接お世話になっていないからお陰様でと答えるのはおかしいというのである。

「おかしい」のはどっちかな、という思いである。
 
「おかげ」は、神仏の加護とか、人力を超えたもの、お天道様やさまざまなものによって私は生かされているという考え方の現れである。こんなに奥深い「お陰様で」を損得勘定の尺度だけで考えるのでなく、皆が、人としてこの世に生まれたことや、仏の教えに出会わせていただいた「お陰様」を素直に喜び、感謝できるようなれたらいいのに。

調査したラジオ局にあわせて次のことも尋ねて欲しいと思う。「次の事柄で、あなたのお家に当てはまることがありますか」
「お家の人がお仏壇にお参りしますか」
「初物や頂き物はまずお仏壇にお供えしますか」
「いただきます、ありがとう、すみませんなどの言葉を、お家の中で言いますか」と。

合掌

(第二組 生駒市 生玉寺 佛姓泰淳)


▼  第二組 斑鳩町 吉田寺 山中浩悦  ▼

『地蔵盆を眺めながら』

 子供たちの夏休みが始まり、花火大会や夏祭りなど催し事がたくさん行われるようになりました。自坊でも先日、恒例の地蔵盆を勤めました。八月に行われることが多い地蔵盆ですが、自坊では諸事情により十年ほど前から七月に行っています。念仏講の講員さんが中心になって、炊き出しなどの準備をしてくださいます。ありがたくも近所の心あるお方からのお供えもあり、今まで続いています。私も子供の頃に近所の友達を誘って、お菓子やかき氷を食べたり福引をしたりした思い出があります。しかし近年は、他の地域も同じように、若い世代が別に所帯を持つようになり、お寺の周りで子供の声が聞かれなくなりました。少しずつ地蔵盆も子供の数が減り、五年ほど前にはとうとう大人だけの地蔵盆になってしまいました。

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 そんな地蔵盆に三年前から変化が起きています。お寺の近くに新しく国道のバイパスが通り、道沿いの田畑が住宅地に変わり始めました。新しい住宅地に引っ越して来られる方には子育てまっただ中の若いファミリーが多く、お寺の掲示板やチラシを見て地蔵盆にお越しくださるようになりました。子供の姿のなかった地蔵盆が、今では幅広い世代の人で賑わうようになり、境内のお地蔵さんもさぞ喜んでくださっていることかと思います。周辺の開発が始まった時には、幼い頃に走り回った野原はなくなり、カブトムシを採った木もことごとく伐採されてしまい、寂しい思いをしていました。周りの変化によってお寺も移り変わり、そこにはマイナスの面もあればプラスの面もあるものだと改めて感じました。

 昨今、お寺を取り巻く環境は急激に変わってきています。目まぐるしい社会の変化をようやくお寺にあっても感じるようになったという方が正しいのかもしれません。戸惑いを隠せないのも事実です。今のままではお寺がなくなってしまう。大事なものが失われてしまう。多くの僧侶がそんな危機感をもっています。ただ、お寺が変わり続けているのは今に始まったことではありません。そもそも、お寺に携わる僧侶はじめ有縁の人々は数十年ほどで新陳代謝を繰り返しています。現代ほどではないにせよ、社会のあり様や人の価値観も変わってきたはずであり、お寺はその都度大事なものを内包しつつ、少しずつ形を変えてきた―その結果がお寺の姿でしょう。

 否が応にもお寺は変わっていくものです。変わる中にも守らなければならないものもあります。ではお寺の守るべき大事なものとは何でしょうか―我々僧侶の生活の糧でしょうか。昔から続く伝統の精神文化でしょうか。家制度と地域のコミュニティを媒介にした信仰を深めていくための仕組みでしょうか。人々が集う場所としてのお寺でしょうか。信仰そのものでしょうか。思いつくままに挙げてみましたが、正解にはどこか不十分に思えてしまいます。私には答えが分かりません。また、お寺によって取り巻く環境などの事情も違うでしょうから、大事なものもお寺ごとに違っているかもしれません。

 現代に限らず、僧侶はあるべきお寺の姿に迷い模索を続けてきたのだと思います。先人たちが各々におかれた状況や与えられた能力など、頂いた御縁の中で、懸命にお寺を守り作り上げてきた―その中には失敗もあったでしょうが、ありがたくも本質をついたものが今あるお寺を形作った―とするならば、私たち現代の青年僧もまたあるべき姿に悩みながら試行錯誤することが務めなのではないかと感じます。今の努力は表面的には実を結ばないかもしれませんが、それがない限りどんな形であれ次の時代のお寺は存在しえないと思うのです。

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 二十数年前には地蔵盆を楽しんでいた私も少し前に親になりました。娘が去年から数珠繰りの輪に入っています。娘が親になる頃にも地蔵盆が引き続き行われ、お地蔵さんの周りに多くの笑顔があることを願います。毎年地蔵盆にジュースを何ケースもお供えくださるお方がおられます。十年ほど前に地蔵盆に来てくれた男の子のお母さんです。当日の朝から境内の提灯吊りをしてくださる男の人がおられます。働き盛りにも関わらず貴重な休みを割いて手伝ってくださいます。何十年も暑い中で炊き出しをしてくださるご婦人は今年で九十歳を迎えられました。地蔵盆の味はこの方の味です。今年も六十名ほどのお方が地蔵盆に来てくださいましたが、次の時代の地蔵盆を担ってくださる方が出てくださることを期待しています。お寺の守るべき大事なものはそういうものではないかと、地蔵盆を眺めながらぼんやり思っていました。そうあるために、今私ができることは何だろうか、疑問符はまだまだ続いています。

合掌

(第二組 斑鳩町 吉田寺 山中浩悦)


▼  匿名 奈良浄青会員  ▼

 先だって、奈良国立博物館で、「平安古経展」という特別展を拝観してきました。平安時代の様々な古いお経が集められた展覧会でした。紙に凝ったものや、絵で装飾されたもの、また特段の荘厳はなくても時代を感じさせるものなど、さまざまなお経を見ることができました。ただ、お経の展覧会というと地味な印象があるのでしょうか、館内の人は多くありませんでした。正倉院展などでは芋の子を洗うような人出になるようですが、今回は展示をゆったりと見ることができました。他方、お経はあまり世間の関心にならないのかなと、さびしさも感じました。
 
以前、古文書学の先生から、お経について教えてもらう機会がありました。その先生が言うには、写経は古いものほど字が丁寧だということでした。確かに見聞したかぎりでは、写真版の資料などを見比べてみると、鎌倉時代の写経より平安時代のもの、平安時代より天平のものの方が、字が丁寧で立派な字だと感じられます。もちろん人の手で書いたものなので、写経する人による個人差もあると思います。それでも時代別に字を眺めると、素人目にも、字の格の違いは、ありありと感じられました。「どうして時代によって字にこんな差がでてくるのでしょうか。」と、先生に質問してみました。すると先生は、「時代に落ち着きがなくなってきているからだよ。」と答えられました。時代の変化というものは、特にその渦中にいるときなどは、わからないものです。が、字という、目に見えるものに注目すると、変化がはっきりと実感できるのだなと感心したことを覚えています。

 現代社会では、時代は、それが進むにつれ便利になっていく、という感覚が支配的なのではないでしょうか。実際、様々な技術は、日々進歩しているように感じられます。しかしその進歩というものは、実は一面的なものなのではないか。写経という、時代とともに失われていった技術の変遷に目を向けると、そんな考えにも思い至ります。そしてそれは写経に限ったことではないでしょう。たとえば、骨董しかり、機械式のカメラや時計しかり。同じ水準で作ることは、もはやできなかったり、たとえできたとしても莫大な費用がかかったりするものは少なくありません。今でも同じ味わい、風合い、同じ精度のものを作ることができるのなら、古いものに価値がついたりはしないでしょう。そういったものごとに臨むとき、かつて存在した高みに憧れを抱くことは、一つの立場になるでしょう。そしてそれは仏陀の偉大な遺産に生かされている僧侶にとっても同じではないかと考えます。

合掌

(匿名 奈良浄青会員)


▼  第十一組 桧垣本 観音寺 北村康章  ▼

『仏に捧げる花』

 薫風の候、さわやかな季節となりました。日本には、四季があります。皆様はどのような時に、時節を感じられますか。私は花によって、季節を実感いたします。

 香華というように、花は香とともに仏前・霊前に捧げるものとして、欠かせないものである。仏前に時節の花を供え、仏の徳と浄土の美しさを讃えるためのものである。供華は、本来仏前荘厳・寺院荘厳そして、霊前供養として、宗教的・儀礼的に行われている。仏前供養の供花から次第に発達して、室町時代に成立したのが、いけばなとされている。
 
 泥水の中からきれいな花を咲かせるハスは、仏教において多く用いられる。泥すなわちこの世から、美しい悟りの華を咲かせよとの、お教えをあらわしている。仏像がお座りになっている台座の中にも、ハスの花をかたどった蓮華座がある。また、尊像が持物としての蓮華を手にしています。
 
 仏華の向きは、供えた人の方にいける。お供えのお花は、見事に咲いている花を、すべて供養する側、私たちに向かって見せています。ではなぜ、人間は亡くなった方に花を捧げるのでしょうか。人間は花が好きだからということがあると思います。花を見ると、誰でも快い気分になります。それは人間が、本来持っている本質・清らかな心が、花によって引き出されてくるからです。仏教では、この本質の心を仏性と言います。この清らかな心・仏性を、仏さま・ご先祖さまに、捧げる事に意味があるのです。ですから拝む側が、見えるように供えるのです。

 お仏壇のお花もこちらに向けるのは、その花を見て、自分にもちゃんと仏性があること、清らかな心があることを、確認するためのことなのです。そしてその心を、忘れないようにして、今日一日を生きることを、仏さまに約束するのです。花を仏前に捧げ、仏性の華が皆様にも、開花する事を念じながら、南無阿弥陀仏の日暮らしを、していただきたいものです。

合掌

(第十一組 桧垣本 観音寺 北村康章)


▼  第十組 御所市 眞龍寺 清田健治  ▼

『在家から僧侶に』

 在家に生まれ育った私は縁があり、得度を受けて四年、加行を終え僧侶となり二年が経ちました。美容師として歩んできた自分が何もわからず飛び込んだこの世界。何がわかっていないのかもわからない状態。30歳を過ぎて美容師の世界ではそれなりの立場にいた自分が、教える立場から教わる立場に、一からのスタート、必死の日々でした。お経を唱えた事などなく、はじめは人前でお経を唱える恥ずかしさもあり声が出ない、漢字ばかりのお経本は開けると頭が痛くなる そんな有り様でした。

 鞄には常にお経本が入れてあり、仕事の空き時間にペンを橦木の代わりに合間うちの練習をしていました。車ではお経のCDをBGMに走り、休みの日には師僧について月参り。まだまだ馴れずお線香をたてる手が震えているような状態の私でしたが、師僧は数回目には「1人でいってきて。」と。「マジか。」とおもったのをおぼえています。なにせ無茶ぶりが半端ない師僧ですので、自坊での施餓鬼会では、やっとお経を唱えることに馴れだしたばかりで施餓鬼会を見たこともない私に師僧は「維那してみるか?」と。「今の私がこんな事をしていいものなのか?」と疑問をもちながらも、「なんでも経験、ダメ出しされて成長させてもらおう。」と。「はい。」と答えたのがはじまりで、翌年には「導師してみるか?」と年々無茶ぶりが大きくなり、 完全にキャパオーバーでした。

 現場主義の師僧のお陰で、そんな場数がものをいい、その無茶ぶりを勢いだけで越えていくうちに、気がつけば自坊での全ての定例法要でお導師を勤めさせていただける様になり、葬儀でも数回お導師を勤めさせていただきました。

 美容師と二足のわらじで勤めさせていただいておりますので法務の方はあまりできておりませんが、美容師の仕事が休みの日には月参りにお檀家さんのお宅へお参りさせていただきます。衣こそ纏っていますが、見た目には髪も長く僧侶さに欠ける私にでも「おっさん、よぉ来てくれた。」と寄せていただく度にお檀家さんはよろこんでくださり、「ホンマ、よぉ来てくれたなぁ これで檀家も安心やぁ」と僧侶になった事に対しても感謝してくださります。

 この様に僧侶という立場になった今、まわりから頭を下げられ持ち上げられる事が多くなってきました。今の自分に勘違いをせずに、謙虚な気持ちでこれからもお檀家さんと共にお念佛の教えを学び、また在家出身だからこそわかる檀家さんと近い目線でわかりやすくお伝えできる様に日々精進してまいります。

合掌

(第十組 御所市 眞龍寺 清田健治)


▼  第九組 御所市 浄土寺 堀口晃裕  ▼

『挨拶』

 桜のつぼみも膨らみはじめ、気持ちがいい季節になってまいりました。私は毎日の月参りもなるべく歩くようにしており、車に乗っていた頃よりも季節の変化や村の情景によく気づくようになり、人との出会い、挨拶を大切にするようになりました。

 自坊は葛城山の麓にあり、緑が豊かで水もおいしく、昔ながらの情景がそのまま残っている地域です。私はたまに趣味で山登りをしており、季節が良くなってくると登山者も多くなり自然と顔見知りにもなります。登山の時は山道で出会ったら挨拶をする。普通に会釈、または声にだして挨拶する。誰もが自然にできる暗黙のルールになっているように思います。

 ある日の月参りで小学生の男の子に出会いました。休みの日にたまに田舎に遊びに来るいわゆる都会っ子です。私が挨拶をしますが彼は私と目も合わさず、ゲームを手放さず隣の部屋に行きピコピコと音を出し始めました。私は、「なんか寂しいなぁ」と心の中で思っていました。その後何度か出会うたびに、私から挨拶をしていくと、目を合わせて声を出し挨拶をしてくれるようになりました。今では大きな声で挨拶をして、ゲームをやめて一緒にお念仏を称えてくれるようになりました。そのような彼の姿を見ているお祖母さんの喜んでいる顔がすごく印象的で忘れられません。何度も挨拶をしていれば気持ちが伝わるのだと私も嬉しくなりました。その彼が、自坊で務める法要の稚児として4月に参加してくれます。どんな元気な姿でお祖母さんを喜ばせるのか、私は楽しみでしょうがありません。

 「挨拶」とは仏教語であり(諸説ありますが)、挨という字は〝開〟という意味で、拶は〝交わる〟というような意味があります。つまり挨拶をすることによって、まず自分の心を開き、同時に相手の開かれた心との交わりによって、お互いの心を通わせ合い理解し合うのです。どんな人間関係も心が閉ざされていたのでは決してうまくいきません。人間関係はすべて挨拶に始まり挨拶に終わります。心が通った挨拶は人を笑顔にさせて温かい気持ちになります。挨拶から人とのつながりが広がって行くように、お念仏も同じことだと思います。ご先祖様の供養のため、また現在救いを求めている人も、共に「南無阿弥陀仏」と声にだしてお念仏を称えることで、阿弥陀様と心が通い、つながりを感じてもらうことができます。

 コミュニケーション不足といわれる時代、日々の挨拶を大切に、また、心の中にいつもお念仏を想い、多くの方々と一緒にお念仏をお称えできる喜びを分かち合い、一日一日を大切に生きて行こうと思います。

合掌

(第九組 御所市 浄土寺 堀口晃裕)


▼  第八組 葛城市 蓮生院 菅原大純  ▼

先日、新聞に目を通しておりますと、「直葬」なる言葉が目に入りました。はて、直送?などと思いながら読み進めますと、この「直葬」はお通夜や告別式を行わず火葬のみで終えられる葬儀とのことだそうです。記事を読むうちに、以前、親の葬儀に際して、「自分は宗教というものを信じていないので葬儀や読経は必要ない」と言った人がいたことを思い出しました。結局、他の親族の方々の意見で密葬という形で終えられたそうですが、ついに世の中がこういう形を良しとし始めたのかと思い、何か割り切れないものを感じました。新聞の記事によると、この「直葬」をされる理由の大半は経済的な理由からで昨今の不況の影響と、一方で都市部での需要が目立つとのことから、親類や地域との関係の希薄さも影響しているようにも書かれていました。最後には、心を込めて亡くなられた方を送り、形式によらず遺族が納得することが大事、との言葉で締めくくられておりました。
 
 記事を読み終えた後、果たして葬儀を終えて亡くなられた方をお送りした後、更にその後はどうなるのか?という疑問を感じました。このような形で、葬儀を終えたとして、その遺族の納得というものは果たしていつまで続くのか。死別の悲しみを思い出した時、果たして何を支えに乗り越えられるのでしょうか。記事では触れられていませんでしたが、このような形で葬儀を終えられた方々が、中陰のお勤めに始まり、日々の念仏や年ごとの御年忌など、その後に亡くなられた方と向き合うであろう機会も求めていないのならば、いったいその葬儀は何のために行われているのかと思ってしまいます。世相や社会の流れというものもあるのでしょう。随分前にテレビで放送されて社会問題にもなっている無縁社会や、最近よく耳にする孤独死などの行きつく先に待ち受けているのがこれならば、人の死が何と虚しいものかと今更ながらに思ってしまいます…

 翻って、今日もお逮夜参りに伺ったお宅でおばあさんとワンちゃんと一緒にお念仏をお唱えし、あれやこれやおじいさんの思い出話を伺っていると、月日と共に悲しみが思い出として昇華されていくのを実感します。新聞の記事に書かれた事と、この私の実感とが同じ国の同じ時間において存在しているのを思うと、人の生き方や感じ方というものは大きな差があるのだと思いました。私はこれからも微力ながら、遺族の方と一緒に亡くなられた方の冥福を祈り、遺族の方の心に寄り添いながら日々の務めに励みたいと思います。

合掌

(第八組 葛城市 蓮生院 菅原大純)


▼  第七組 広陵町 定願寺 岡崎順哉  ▼

『天国』

 私は浄土宗僧侶の資格を得て葬儀の導師などを何度か経験させて頂いておりますが、その際、儀式中や儀式の前後に喪主や親族の挨拶、また親しい人や先輩が弔辞などをされることがあります。もちろん浄土宗僧侶として仏教の葬儀を執り行っているのですが、挨拶や弔辞で亡くなった方に向けて「天国にいっても云々」と話されることが大変多いです。何の意識もなく気にせずに『天国』という言葉を使われているのはわかりますが、天国の事をよく知らないのに軽い気持ちで発言して良いのだろうかと思います。

 浄土宗の法要儀式として葬儀を執り行っている場合は全く天国というものは無関係です。亡き方が阿弥陀仏のおられる極楽浄土という安らかな覚りの世界へ救われる事を願い、お念仏を称え葬儀を勤めるのです。一般の方が宗教的な知識がないまま「天国へ行っても云々」と言うことは軽率であり、完結した宗教教義の領域に踏み入っているのです。

 では『天国』とは何なのでしょうか。イスラム教やキリスト教における天上の世界が天国です。一般的に天国と使う場合はキリスト教の神や天使の住む世界の事だと思います。そもそも生前にキリスト教に対する信仰もなく、教義も知らず理解もしていない多くの日本人が、命終わった後にその天国という世界に行けるなんてことはないはずです。キリスト教の天国ではなく、何となくのほほんとしたお花畑のようなイメージや光に満ちたような実体のない世界を指して仮に『天国』という言い方をされることもあるでしょうが、そんな自分勝手なイメージの世界に救われることはありません。葬儀という宗教儀礼中に、神に対して信仰心のない軽率な『天国』という発言は仏教においては全く的が外れており、一心に天国への救済を願うイスラム教やキリスト教の人々に対しても侮辱的であります。

 ところで仏教においても多数の天の世界があり、神々も多数おります。それは仏とは別の存在であり神々も成仏を目指すものであります。その中でも代表的な天の国が兜率天です。そこにはご存じのかたも多い弥勒菩薩―遠い未来に仏としてこの世に降りてきて人々を救済される方がおられます。兜率天へ救われる方法は「弥勒菩薩の名を聞き心から信じ願い念ずること」だとお経に説かれています。その世界はやはり素晴らしいようですが、そこに住む天の人々は男女が交わり子が生まれ、僅かであるかもしれませんが老若男女の差が雑居しており、また寿命にも限りがあると説かれています。そんな兜率天の『天国』をお望みでしょうか。

 人によっては気を害するようなここまで述べましたが、葬儀の弔辞や挨拶での「天国云々」という発言が出てくる第一の責任は、僧侶である自分自身がきちんと浄土宗の教えを伝えられていないことにあると自覚しております。恥かしい限りです。

(第七組 広陵町 定願寺 岡崎順哉)