青年僧のお話~2019~


▼  第八組 葛城市 西光院 中村法秀  ▼
 愚僧も、はや42歳となり、愛惜すべき会員としての残り時間。執筆も最後の機会と思われますので、浄青に入った若い頃から悶々としてきた、私自身の葛藤(それが原動力でもあり)を記しておこうと思います。

 佛教大学で浄土宗のことを学ぶと、幼少から聴いてきた法話が教えに基いていないことに気づいて、たいへんなショックを受けました。
 卒業後(また気まぐれに在籍した大学院時代は特に)、布教の現場に戻れば、学問的な関心や問い掛けは一切軽視(無視)されることも大きな衝撃でした。

 信仰もないのに紙上では教えを振りまわす学者先生と、学問もないのに自分勝手な祖師像や異なる教えを語る説教師。そのどちらにも憎悪の感情を燃やし、ふらふらと趣味やアルバイトに身を投じて、父僧にも激しく逆らいました。
 学問と現場のどちらにも軸足が定まらず、他人の批判ばかりして、本当は実践も学問もすべて中途半端なだけだったのです。20年過ぎても今もってそれは変わりませんが。

 他宗ですが、大村英昭という先生が指摘された有名なフレーズに、「教学なき現場(布教)、現場(布教)なき教学」というのがあります。どの宗派にも通じる本質的な問題を鋭く突いておられます。
 堅苦しい教学(教義理論と研究)が現場の信仰土壌の豊かさを排除してしまうことの弊害と、邪説・迷信に振り回されて本来の信仰を失ってきた歴史的事象と愚かさにも論及されています。

むろんそのどちらに偏ることも危険であるのですが、教えを正しく受け取り、伝えていく基本姿勢をもって、経典や祖師のことばに直参する態度が不可欠だと思っています。
 また目の前の人が念仏してくれるように自分が唱えながら誘えるか、信仰の芽を伸ばしてくださるように、何ができるのか。
 この問いかけは、当然念仏の実践をともないながら、檀家さん、有縁の人を前にして一生の間、自分も信を深めながら続けないといけないと思います。
 志を同じくする仲間を探して、求道と実践をできる場所として、青年会が貴重な存在でありますように。

合 掌


▼  第五組 八木 國分寺 和田 孝友  ▼

私の祖父が今年2月4日に行年105歳で亡くなりました。
祖父は住職として75年を超える歳月を過ごさせて頂きました。
そんな祖父から学んだことは数知れずあります。
人として、僧侶として、住職として、いろんな事を学びました。

昨年、平成30年の9月の秋彼岸、祖父が住職であるお寺の彼岸法要の前日に法要の準備をしていたところ祖父が本堂へとやって参りました。
平素より欠かさず勤めている朝夕のお念仏を称える為に本堂にやってきた祖父。
幼い頃から寝食を共にせず生活をしてきた私は本当に久々に祖父との勤行をさせて頂きました。
その日の祖父は摂益文「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」という偈文を申し30分のお念仏、そして有縁の方々の彼岸供養をされました。

この摂益文という偈文は阿弥陀様の大慈大悲の御光はあらゆる方向を照らして下さり、お念仏を称える人々を1人をももらす事なく救って下さるという意味であります。
祖父は阿弥陀様を信じただひたすらにお念仏を申していくという姿を孫である私に見せて下さいました。

そんな祖父は12月2日に満104才の誕生日を元気に迎え家族でお祝いをさせて頂きました。
けれど12月13日に体調が優れずに入院しました。
最初に申しましたが2月4日に亡くなったのですが入院中に私が家族でお見舞いに行った時、祖父が私と妻に帰る間際にくれた言葉は
「人生は怠けたらあかん。努力精進しなあかん。僧侶として、住職として、親として、精進しなあかんぞ」という言葉でした。

日々欠かす事なくお念仏を申し、お給仕をしてきた祖父の精進という言葉をお念仏精進する事と頂き今まで以上に励んでいこうと心に決めました。
お浄土で再会させて頂ける日を楽しみに僧侶として住職として親として自分がやるべき事を怠けず何事にも努力精進して行こうと思います。

合 掌


▼  第九組 御所市 浄土寺 堀口 晃裕  ▼

「一蓮托生」

 自坊では、一月中旬に梅が咲きだしました。この冬は暖冬と言われた通り、年末年始から暖かく、過ごしやすかった一月でありました。
 お花というのは本当に賢く、その時期が来るのが分かっているようであります。
ただ人間の私たちは、たまに気温が低くなり寒暖の差が厳しくなると、身体の対応が難しい日常ではないでしょうか。

 これだけ寒暖の差が激しくなると、やはり檀家さまの体調が心配になってきます。自坊の周りは、まだまだご高齢の方々が多くいる地域です。
 毎日、本堂前で手を合わせておられる方、お地蔵さまのお世話をしていただいてる方など、様々にお寺のことを思っていただいている方々が多く、「いつも有難いなぁ」と感謝をしてます。
 そんななか、あるお婆さんと毎日会える事が日常になり、私もいつの間にかそれが楽しみになっていました。毎日同じ時間に来て、お花、線香をお供えしてくれます。休む日もなく毎日毎日。
 ある日、そろそろ来る頃かなぁと思い、私も掃除をしながらお婆さんを待っていたのですが、その日は来られませんでした。
 その次の日も次の日も見かけることがなく、私の知っている限りこれまでお婆さんがこんなに日を空けることはなかったので、だんだんと不安が頭に過ぎってきました。
 その日に、一本の電話が鳴り、頭に過ぎった不安は現実となったのです。
 お婆さんの息子さんからで、「母が亡くなった…」と。詳しく聞くと、最近、寒暖の差激しく、急に冷え込んだときに風邪を引いて、こじらせてそれから…」とのことでした。

 通夜、葬儀と多くの方に最後を見送られました。中陰のさいに、息子さんとお婆さんの事をゆっくり話すことができました。
 息子さんは「お婆さんは、最後の最後までお寺に行って幸せやったと思います。毎日の日課になっていて、家の用事よりもお寺に行っていました。なにより、副住職がいらっしゃってから毎日会うのが楽しいと言っていました。相手していただきありがとうございました。」と仰ってくれました。
 私は「いえいえ逆ですよ。私の方がありがとうと言いたいです。私も毎日会えるのが楽しかったです。」とお婆さんの事を思い出しながら答えると涙がでてきました。

お婆さんとの別れの中で、私の胸の中には法然上人のこのようなお言葉が浮かんできました。

「 会者定離(えじゃじょうり)は常の習い、今始めたるにあらず。何ぞ深く嘆かんや。宿縁空(むな)しからずば同一蓮(どういちれん)に坐せん。」

「会う者が別れるということは世の定めであって、今に始まったことではありません。どうして深く嘆くことがあるでしょうか。過去の因縁が確かなものであるならば、極楽に往生して同じ蓮の台(うてな)に座ることができるでしょう。」

 その後 お寺には、ほぼ毎日のように息子さんが線香などお供えに来てくれます。本当に有難いことです。
 亡くなったお婆さんとの極楽での再会を楽しみに、「南無阿弥陀」と日々のお念仏行に更に励もうと心に決めた平成最期の一月でした。

合 掌