青年僧のお話~2018~


▼  第三組 三宅町 浄土寺 藤田宏至  ▼

 念仏行脚(ねんぶつあんぎゃ)。そのような言葉があります。お坊さんなら念仏行脚と言えばお念仏を称えながら歩くこととご存じでしょうが、行脚ってなんなん?そんなハテナがつく方もいらっしゃるはず。
 法を求め、寺院の門を叩き、師を訪ね歩かれた方が昔は多かったのでしょう。それが行脚であります。また自分の内面と向き合い自らの道を求める、網代傘をかぶり、”なーむあーみだーぶ”とお念仏を声に出し歩いている僧侶を見たことはないでしょうか?一人で歩く僧侶、列をなして歩く僧侶達、スタイルも様々ですがそんな方を見たことがあるかと思います。それはもしかしたら念仏行脚をされていたのかもしれません。

 奈良教区青年会では平成28年より2年間で11回にわたり念仏行脚を行いました。
 およそ175キロの道のりを11回に分け、時には寒行托鉢、時には念仏会なども混ぜながら奈良教区の青年会所属の会員時院のお寺を訪ね歩きました。だいたい大阪から高速道路を行けば名古屋まで行ける距離。2年という限られた時間で、それぞれ自坊の法務などもこなしながら、この日この時間と決め奈良県内の青年会会員寺院のお寺をすべて参拝させていただきました。
 この2年間、念仏行脚の時間を共にした会員はのべ272人。広い奈良、日頃なかなか寄せていただくこともない会員寺院もありました、会うことのない会員とも共に歩き、苦しみや喜びを共有できました。良く会って会話を交わす会員であってもお寺の場所がわからない、そんなこともなくなりました。今振り返りますと有難い時間をすごさせていただきました。

 今から14年前の平成16年、私が20代の頃、奈良青年会では岡山の誕生寺から京都の知恩院まで、10日間230キロの道のりを歩きました。毎日25キロから30キロ歩き、日を追うごとに身体はボロボロになっていきました。10日目に知恩院の山門から御影堂の前に並んだ時の感動は未だに忘れられません。青年会に入って間もない頃、こんな大きな行事に参加し、満行できたことが良き思い出として心に残っております。そのような行脚を経験した人の多くは現在青年会を卒業され、今こうして若かった私が卒業間近(青年会は43歳で卒業)になり、念仏行脚を中心に活動を行えたことうれしく思います。

 同じ事をしたい、同じ距離を歩きたいとは思いませんでした。今、みんなができる範囲で、共にできる行脚、そしてちょっとだけ無理をする。その中で求めることは求めると会員寺院をめぐる行脚を企画しました。
 平成16年から平成30年、14年の間でさえも社会のあり方、価値観も変化し、私の環境も変化していきました。私自身も又変わり、求めるものも変わってきました。しかし年を経るごとに求めるべきものはそれだけ多くいらないと思うようになってきました。若い頃はあれもしたいこれもしたい、あれもほしいこれもほしいという気持ちがあり、求めれば求めるほど手に入れられないものの多いことが苦しみの種になっていたと感じます。せいいっぱい手を広げてもぎ取るだけもぎ取っても満足できなかった自分がいました。あの頃の私であったらまた違った内容であったかもしれませんが、みんなでお念仏の列をなし、それぞれの行程を事故もなく無事に到着寺院にてお参りできることの有り難さ。これだけあればその一日の私の心が満たされました。それを積み重ねて11回。その日その時の参加者と共に一回一回を大切にして、2年をかけて積み重ねていく大切さ。20代の頃に得られた感動とは違う感動を得ました。

 みなさんはどのように毎日毎日をすごされていますでしょうか?私自身、日々の生活に大きな感動を得る事は多くありませんが、今日の一日はどんな一日にしようかなと目標をたて、日々を重ねていくことはやはり大切であるとあらためて気づかされました。日々どれだけの感動を手にするのか?大きなイベントで大きな感動はなかなか得られないかもしれませんが、たわいもない出来事、見逃してしまいそうな些細な出来事に目を向け、自分自身がそれを喜びとして受けとめていく。そんな生活をめざしたいものです。
 いずれは誰しも最後にはこの世とお別れしていく、その時に満足いく人生であったとほほえみを浮かべ、支えてくれた方々と別れていきたい。人生山あり谷ありですがそんな日々の生活を今日の一日、明日の一日と積み重ねていきたいと思います。その際には道しるべも必要です、杖も必要かもしれません。私には法然上人の往生の道があり、口に南無阿弥陀仏と称える杖があります。皆様にはどのようなみちしるべがありますか、どのような杖をおもちでしょうか?正しき道を歩み、扱いやすい杖を人生のお供に選び、お互いにゆっくりと一歩一歩小さな感動を見つけながらも確かな道を歩みたいものですね。

合 掌

(第三組 三宅町 浄土寺 藤田宏至)


▼  第十二組 下市町 地藏院 西本順一  ▼

三月、寒さもやっと少しゆるみ、いよいよ春彼岸の頃になりました。年を重ねるほどに‘時の過ぎる速さ’に驚かされる今日この頃であります。
 先だって、当山第三十世の三回忌法要を門中上人導師のもとお勤めいただきました。案内に始まり、しつらえ、おあがりいただく粗飯等々……段取りの悪さも手伝いながら何とか法要当日を迎えることができました。

 法要には法類上人、一部の檀家さんもお参り下さり、声高らかにお念仏ご回向くださり、おかげをもちまして無事に終わらせていただきました。今ふと振り返ってみましたら、師僧が西方極楽に参られてからの二年、いつも以上の速さを感じるとともにあらためて諸行無常の理を目の当たりにさせていただきました。

 師僧にあい、死があったからこそこの御仏縁にあい、いっぺんでも多いお念仏を申させていただき、その時遅ればせながらお浄土での再会を約束していただいた気持ちになった次第でございます。

合 掌

(第十二組 下市町 地藏院 西本順一)


▼  第十一組 吉野町 達中寺 上田法道  ▼

 寒い日が続いております。
 私は、昨年10月吉日、晋山式を無事終える事が出来ました。ご随喜頂いた皆様方には大変ありがたく思っており、感謝しております。

 私はこの自坊で今お勤めをしていますが、先代住職は亡くなっているのでこの地域の事に関して教わっていませんでした。そのため、最初はこの地域の方たちと上手く関わっていけるかどうか凄く不安でしたが、檀信徒、実家の家族、ご先祖様、阿弥陀様方々が私を正しく導いてくださったので、おのずと前へ進む事が出来ました。
 確かに今も不安に感じる事は多々ありますが、その不安も周りのお陰でこれから少しずつ無くなっていくのではないかと感じています。
 今思えば、私は阿弥陀様にこのお寺へ呼ばれた気がしてならないのです。まったく知らない地域、土地で住職として生きていく上でこの阿弥陀様にただただすがっていけば良いと感じる事が出来る晋山式でありました。

 住職となり、これから大切にしていきたい事は、追善回向という言葉があるように日々の中でそのような功徳を積む事が私たちに課せられた勤めなのだとしみじみ感じております。

 現代社会において仏教は難しいというイメージが定着していますが、仏教の基本の教え

『七仏通誡偈』
「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」

を大切にしつつ、「南無阿弥陀仏」を称えれば救われるという易しい教えを通じて僧侶と檀信徒が共に学び、行なっていけるように励んでいきたいと思っております。
 お寺離れと言われている昨今ですが、今の世、時代だからこそお寺という場が求められていく時代が必ず来ると私は思い、その時が来た時にどのように対応していけるかが今から大事だと考えて、真っ正面から阿弥陀様と向き合い、お念仏の日々へと励んでいきたいと思います。

合 掌

(第十一組 吉野町 達中寺 上田法道)


▼  第十組 御所市 眞龍寺 清田健治  ▼

「諸行無常」

 ついこの間、ゴールデンウィークが終わった、お盆が終わったと思っているともう新年です。2018年がスタートしました。

 一年が経つのは早いもので、子供が産まれて自身が年齢を重ねると余計に、一年が経つスピードが加速したかのようにあっという間に感じます。
 毎年毎年、一年間のなかでいろいろな事が起きていますが、お子様がいらっしゃるお宅では幼稚園あるいは学校の行事もあり、子供の成長を感じながらもあれよこれよと気が付けば一年が経っているかと思います。自分自身の事では年々体力の低下を感じる日々で、他にはいろいろな出会いがあり、いろいろな別れもあります。
 特に大切な人、親しい人との別れというのは、この時が来る事は世の道理と、誰もがわかっている事ですが、それでもいざその立場になるとやはりつらく、悲しい、やりきれない出来事です。
 私も今までたくさんの別れがありました。それはやはりつらく、悲しく、やりきれない事でした。でも、つらく悲しいのは自分と親しい人達、ほんの少しのまわりの人達だけで、世の中は当たり前のように、朝になれば日が昇り、沈んでゆきます。世間では人は会社へ、学校へ行き何も変わらず日常を送っています。自分はこんなにつらくて悲しいのに何でみんな平気なのだろう…と思ってしまっていたものです。
 いくらつらく悲しくても、世の中は動いていきます。時間は待ってくれませんし、願っても戻ってきません。

 諸行とは、この世の一切の事物、現象の事。無常とは、この世にある一切のものは常に移り変わり、不変なものはないという事。
 この世が無常であるからこそ、人はつらくても悲しくても前へ進んで生きていける。この世が無常であるからこそ、気持ちを整えられ、自分自身も日常生活へ戻れるのではないかと思います。

 つらく、悲しい、さみしい別れは一時の別れ

 法然上人は、自らが浄土に生まれた後はこの世でお念仏を励んだ仲間と極楽浄土で会える約束をしてくださっています。阿弥陀仏は我が名を呼べば必ず極楽浄土へ導くぞとお誓いになられ、言い方を変えれば阿弥陀仏がしてくださった約束です。世の中のあらゆる物事は変化し、一定ではないというのが諸行無常の理です。
 いつ、どこで、何があるかわからないこの世です。一瞬一瞬変わりゆくのですから、一日一日を大切に、お檀家さんと共にお念仏の教えを学び、充実した日々を送っていきたいものです。

合 掌

(第十組 御所市 眞龍寺 清田健治)