第八回 大和巡礼念仏行脚 奈良市方面

6月21日、奈良県の浄青会員寺院を中心に廻る念仏行脚を行いました。29名の会員が参加しました。
当日は奈良市内14ヶ寺を参拝させていただきました。出発地点として南永井町にある安楽寺から奈良坂町にある西福寺を終点として約11㎞を行脚させていただきました。

出発の安楽寺に到着した時は小雨がぱらつく、あいにくの天気でしたが、お勤めをさせていただいてから出発しました。安楽寺は森山上人が副住職を勤められており、地域の墓所としてお参りの絶えない寺院です。

▼出発 奈良市南永井町 安楽寺
第六回行脚 安楽寺

第六回行脚 安楽寺 (2)

安楽時を出発して次の祐楽寺にお参りさせていただきました。途中、私の母校、都南中学を望みつつ住宅地を進み祐楽寺に到着しました。祐楽寺は伊藤上人が副住職を勤めておられます。神社と寺院が並立して立地するという昔ながらの形を残す、形態の綺麗な寺院です。

▼立寄り1ヶ寺目 奈良市北永井町 祐楽寺
第六回行脚 祐楽寺

第六回行脚 祐楽寺 (2)

祐楽寺を出発して次の称念寺に向かいます。祐楽寺を出て程なくして私の母校であります明治小学校の校門前を通り、中ッ道との分岐に近づき旧奈良市街である平城京の外京部分に入っていきます。さらに進むとJR京終駅に近づいてきました。京終は昭和52年から昭和54年にかけて「奈良県中央卸売市場」が設置されるまで色々な卸売市場で賑わっていました。今でもその名残を留めており、時代の流れを感じながら歩みを進めさせていただきました。
循環道路を超えますと称念寺が見えてきます。称念寺は杉浦上人の寺院です。本堂は江戸時代初期の浄土宗寺院の美しい建物で、市の文化財にもなっています。お師匠様の杉浦弘道上人のようなドッシリと重みのある伽藍が、素晴らしい環境を作っています。また、ご厚意により休息を取らせていただきました。

▼立寄り2ヶ寺目 奈良市東木辻町 称念寺
第六回行脚 称念寺

第六回行脚 称念寺 (2)

休憩の後、誕生時に参拝させていただきました。京都教区城南組の叢(くさむら)上人が兼務されています。浄土宗に深い関係のある当麻曼荼羅を作ったいわれる中将姫誕生の地とされており、ご本尊も中将姫がおまつりされています。

第六回行脚 中将姫

誕生時を後にし、程なくして聖光寺に着きます。山門にはラブラドールレトリバーのチェリーちゃんが出迎えてくれました。聖光寺は乾上人が住職をされており、その寺号の通り、二祖聖光上人と縁のある寺院として「法然上人大和二十五霊場」のひとつに定められています。

▼立寄り3ヶ寺目 奈良市鳴川町 聖光寺
第六回行脚 聖光寺

聖光寺を出て奈良町を進んで行くと「そこぬけさん」の愛称で知られる興善寺に到着しました。興善寺ご住職の森田上人は浄青第20期会長を務められました。隣の十輪院は元興寺の奥の院とされ、その隠居寺として興善寺があったそうです。そのため院号と山号を2ヶ寺で分けたので互いに院号のみ、山号のみになったそうです。また興善寺には『興善寺文書』があり、昭和37年にご本尊の胎内から源空、証空の消息が発見され、その快挙に総本山知恩院の岸猊下は御詠歌を読まれました。

▼立寄り4ヶ寺目 奈良市十輪院畑町 興善寺
第六回行脚 興善寺

第六回行脚 興善寺 (2)

次は阿弥陀寺を目指します。境内の建物は県の有形文化財に指定さている物が多く、境内は時が止まっているように感じます。また、室町時代の笠塔婆が石好きの方に人気です。副住職を勤めておられる森上人は英語教師の傍らバンドのボーカルもされ、多彩な才能をお持ちです。

▼立寄り5ヶ寺目 奈良市南風呂町 阿弥陀寺
第六回行脚 阿弥陀寺

第六回行脚 阿弥陀寺 (2)

第六回行脚 阿弥陀寺 (3)

阿弥陀寺を後にし、奈良市で最初に開校された椿井小学校の横を通り三条通りを進みます。観光客に見られながら霊巖院に到着です。霊巖院は藤野上人の寺院です。やすらぎの道から西に入り開化天皇陵の横にある寺院で、近鉄奈良駅側であるにもかかわらず、静かな境内に重厚な本堂と立派な石龕佛がたたずんでいます。

▼立寄り6ヶ寺目 奈良市林小路町 霊巖院
第六回行脚 霊巖院

第六回行脚 霊巖院 (2)

霊巖院を出て、饅頭の祖といわれる林浄因(りんじょういん)が奉られている林神社のある漢国神社の前を通り、山の寺念佛寺に向かいます。念佛寺は三宅上人の寺院で、9月9日のキューキューの托鉢の際に会処としてお借りしています。念佛寺は袋中上人が開山で、徳川家とも縁が深く、本堂の金柱の数が当時の荘厳さを感じさせていただけます。

▼立寄り7ヶ寺目 奈良市漢国町 山の寺念佛寺
第六回行脚 山の寺

第六回行脚 山の寺 (2)

次に崇徳寺を目指します。崇徳寺は和田上人の寺院で、先代ご住職は安井良道上人です。崇徳寺の開山である縁誉上人と徳川家康公が竹馬の友であったことから奈良を訪れるVIPの宿にされることもあり、非常に格式高い寺院です。また接待のおりに酒を出すことが出来ないため、酒粕で漬けた漬け物を出した事から「奈良漬け」発祥の地とも伝えられています。

▼立寄り8ヶ寺目 奈良市大豆山町 崇徳寺
第六回行脚 崇徳寺

第六回行脚 崇徳寺 (2)

続いて浄國院へ向かいます。途中、奈良女子大学前を通ります。奈良女子大学は奈良奉行所の跡地に建っており、全国でいちばん大きい奉行所で当時は周辺が奈良の官庁街になっていました。さらに、このあたりは仏像や筆・墨などの工人の町でもあり、奈良北町の中心地となっていました。
当時の景色を感じながら浄國院に到着です。松谷上人がご住職をされており、南北朝時代から続く古刹で無衰山の山号通りの威容を誇っています。先代ご住職は浄青第13期会長です。ご住職のご厚意で休憩も取らせていただきました。

▼立寄り9ヶ寺目 奈良市東笹鉾町 浄國院
第六回行脚 浄國院 (2)

第六回行脚 浄國院

行脚も終盤に入り、次に東大寺指図堂に向かいます。指図堂は「法然上人二十五霊場」の第十一番霊場で、ご本尊に草鞋履きの法然上人の御影が安置されています。その前でお勤めをさせていただきながら重源上人をはじめ多くの方との念仏信仰の隆盛を感じさせられました。

▼立寄り10ヶ寺目 東大寺指図堂
第六回行脚 東大寺指図堂

第六回行脚 東大寺指図同堂(2)

次に浄福寺へと向かいますが、指図堂を出て北へ向かいますと正倉院が見えてきます。正倉院に続く道として鼓坂(つづみざか)があり、その名前を頂いた鼓坂小学校があります。その前を通ると転害門があります。東大寺最古の建物で創建当時(天平時代)の唯一の建造物です。

第六回行脚 転害門

東大寺を北に進み、寶船の醬油屋を越え今在家を過ぎると今回の行脚の難所である「東の坂」を迎えます。奈良と京都の間の峠の始まりで、坂を登っていくと立派な石段の上に見えてくるのが浄福寺です。ご住職の寺田上人は浄青第22期会長を務められました。浄福寺は「げんこ坊」の愛称で親しまれています。元々は東大寺系の興善院という大寺院があり、その中の「げんこ坊さん」が居られた坊が浄福寺の前身になったといわれ、本堂には「げんこ坊」の御像が安置されています。また、浄福寺は尾根の先に位置されていて、奈良門中の中では最高の眺望で、眼下には北山十八間戸をはじめ奈良盆地を見渡すことが出来ます。

▼立寄り11ヶ寺目 奈良市興善院町 浄福寺
第六回行脚 浄福寺

第六回行脚 浄福寺 (2)

浄福寺を後にし、いよいよ終着地の西福寺を目指します。般若寺、植村牧場の前を通り、『平家物語』の平家の軍勢が押し寄せた道を逆に北上して西福寺に到着しました。西福寺は私、吉水が住職を務めさせていただいています。自慢は淀川水系と大和川水系の分水嶺に寺院があるのでどちらにも水が流せることです。

▼到着 奈良市奈良坂町 西福寺
第六回行脚 西福寺 (2)

第六回行脚 西福寺

今回の行脚も無事に終わり、私はやはり行脚は良いなと思いました。常々、総本山知恩院で行っている行脚も含めて、寺院に居ります時は西福寺の住職としての自分がおり、夫・父としての自分がおり、その中で僧侶としての自分が薄れていく事を感じます。街を行脚している時の自分は、ただただお念仏を称える僧侶になれている気がします。
尊敬するお方として布袋さんがおられます。身の回りの物を袋に入れて遊行をされるお姿が、肩書や柵の中で四苦八苦している自分を笑っていらっしゃると感じるのです。時には肩書や柵を置いて、阿弥陀如来様や法然上人、これまでの諸大徳に報恩の念を持ちつつ、自行としてのお念仏をさせていただける機会として行脚は大変良いものであると思います。ぜひこれを機に多くの方が行脚を続けていただけたらと思います。

今回の行脚中、40,100円のご喜捨を頂きました。被災者支援に当てさせていただきます。

次回、第九回の大和巡礼念仏行脚は9月に吉野方面を予定しています。